阪神工業地帯の始まり
第二次世界大戦以前【1939年〜1945年】
阪神工業地帯は大阪府・兵庫県にかけて広がる工業地帯です。
昔は綿花で作った織物をはじめ包丁などの日用品の生産が盛んでした。糸や布・タオルなどを作る繊維工業を中心に発展していきました。
第一次世界大戦ごろは重化学工業も発展して日本一の工業地帯になりました。
第二次世界大戦後は自動車産業やコンピューター産業に遅れ工場用の土地や水が不足し思うように産業が伸びなかった。
工業の特徴
兵庫県の神戸市から大阪府にかけての大阪湾沿いの埋立地には鉄鋼や造船・石油化学・火力発電所が多く建設されました。鉄鋼業や金属系の産業が多いのが阪神工業地帯の特長です。
内陸地ではテレビやエアコン・冷蔵庫などの家庭電化製品の大きな工場があります。【門真市・守口市】
淀川地域では化学工業や飲食品工業が発展している。
堺市では綿織物などの繊維工業や食料品工業が盛んです。
地域の特色
神戸市から西宮市では灘と呼ばれ古くから清酒【日本酒】作りが盛んです。
1995年の阪神・淡路大地震では大きな被害が出ました。
しかし、現在は日本一の清酒の生産量になっています。
大阪府の地場産業
大きな特徴は中小工場が多い事です。
大阪市・八尾市では歯ブラシ・
堺市では刃物・自転車・絨毯
東大阪市では魔法瓶・ボタン
泉大津市では毛布・織物
泉佐野市・熊取市ではタオル
このように地域の根付いた特色の地場産業が発展している。
北九州工業地帯【地域】
第二次世界大戦前は八幡製鉄所が鉄を作る産業を行い鉄鋼業が発展しました。そして北九州工業地帯が作られました。原料の鉄鉱石と石炭不要なものを取り除くために石灰石を必要としました。筑豊炭田で石炭や石灰石が取れた事と中国にも近いことから製鉄所をつくられました。
第二次世界大戦後は輸入先はオーストラリア中心に変わり石炭も石油に変わったことで炭鉱が減り北九州工業地帯全体の産業が減ったことで四大工業地帯から三大工業工業地帯になり北九州工業地域と呼ぶことが多くなってきている。
変化を求められた北九州工業地帯
近年は苅田町・宮若市には大きな自動車工場が作られIC(集積回路)と言う電子部品や電気機器などを作る工場が集まって来ました。現在は自動車を作る機械工業の生産額が40%程を占めている。
以前は公害問題があり八幡製鉄所を中心に工場が増え【鉄のまち】と呼ばれましたが工場から出た水が海に出て死の海と呼ばれてしまいました。
1980年頃に市民と工場の努力で綺麗な川・海を取り戻しました。
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